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頭が良くはなかった少年時代

少年時代の私の学力

私の小学校、中学校、高校時代の通知表が今でも手元に残っていますが、それをみると小学1年生から5年生までの間、私の学力はさほど高くなかったようです。私の少年時代(1960年代)は、評定は1から5まで五段階で、相対評価でした。今は絶対評価で、成績が良ければ5をもらう人間が何名いてもいいのですが、私の少年時代は、40人から50人につき、5は何人、4は何人と、その割合が決まっていました。ですから、評定をみれば自分の学力がクラスや学年でどの程度の位置づけか分かりました。私の評定はいつも、算国理社の4教科で「4」が2つ、「3」が2つでした。順位としては平均より少し上の位置です。

基礎的な能力も高くはありませんでした。算国理社のどの教科書でも分からないところがいくつもありました、漢字の書き取りも苦手でした。
昔の田舎でしたので、私も友達らも、家庭で宿題以外に何か勉強をするという発想が全くありませんでした。授業のときに分からないことがあっても、それを家庭学習で解決するということは全くありませんでした。家庭学習でどうにしかしようにも、両親は学がなく、参考書のたぐいも家には全くないので疑問の解決のしようがなかったのです。

強い好奇心と向上心

ただし、好奇心と向上心は強いようでした。この2つは小学校時代の通知表に長所としてよく書かれていました。実際、好奇心から、理科的な分野の本をよく読みました。自己を高めたい気持ちから、その時々で何かしらに熱心に打ち込みました。その対象は鳥の絵を描くことだったり、木琴を上手に演奏することだったり、縄跳びを長時間跳ぶことだったりです。己を高めたい気持ちによって、勉強を頑張ることもありましたが、もともとの基礎学力が低いので、分からないことがたびたび出てきて挫折してしまいました。

それでも、小学6年生のときから徐々に成績が上がり始め、勉強をしていて分からないことに出くわす割合が少しずつ減っていきました。

そうして中学生になっていったわけですが、中学1年生の頃、私が自身で描いていた将来像は、県立の普通高校に進学し、高校を卒業したら農業をやるか、あるいは親戚が経営する工芸品を作る工場で働くかというものでした。当時は東海高校がなかったので、電車賃が高くならない多賀高校あたりが第一目標でした。

私の中学1年生から中学2年生にかけて時期、毎日夕刻に、NHKテレビで『新八犬伝』という人形劇の番組が放映されていました。『南総里見八犬伝』を人形劇にしたものです。私はこの番組がたいそう気に入っており、夢中で見ていました。『新八犬伝』は、八匹の犬が人間の侍に姿を変え、主君である伏姫に忠義を尽くして活躍するという内容の物語です。この『新八犬伝』のドラマ内で登場する重要なアイテムが、透明な珠でした。珠は全部で八つあり、八人の犬士がそれぞれ一つずつ持っていました。そして、それぞれの珠は、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌のいずれか一文字を浮かび上がらせるようになっていました。八犬士の一人一人の性格や理念は、その珠の文字の意味と一致しているのでした。

私は、このドラマを見ている同じ時期に、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌というのは、儒教の八徳に由来するものであるということを知りました。そして、儒教の開祖である孔子の教えをまとめた『論語』を本屋さんで購入しました。

私はこの『論語』に感銘を強く受けました。注釈が多くついた解説書であり、読み応えがありました。中でも、学而篇が特に気に入りました。自己を研鑽することを目的とし、そのために学ぶという姿勢が、魅力的に映ったのです。

『論語』を読んで以降、定期テストの一週間前だけではなく、普段から勉強するようになりました。

小学6年生のときに、ようやく算数と社会の歴史分野がまあまあ得意になっただけで、主要教科全体としては、中学2年生になってもぱっとしませんでした。もともとの基礎的な学力が弱いのですから、どの教科、どの分野でも、うまく理解できないことがらが次々と現れます。中学2年生の段階でも、数学と歴史はすんなり行きましたが、他の教科はつまずくところがいくつもありました。

それが、『論語』の影響で、自己を高めるための手段として勉強をするという姿勢を得てからは、つまずくことが苦痛ではなくなりました。つまずくというのは、むしろ自己の成長を促す機会を得たことなのだと思うようになりました。分からないことに出くわすと、説明を注意深く読み直し、内容をあれこれ検討しました。粘り強く取り組む姿勢が身についたのです。

こうした取り組み方で勉強するようになったのが、中学2年生の10月頃です。そして、取り組み方の変化が、学力および成績の向上として成果を結んだのは、8ヶ月後の中学3年生の5月頃でした。中学3年生になってからの教科学習でつまずくことが極端に減ったのです。どんな内容でもすっと理解できるようになりました。教科としては国語が特に伸びました。読書は幼い頃からずっと好きでしたが、国語は得意ではありませんでした。興味が惹かれないことがらをテーマとした文章だと読む気が完全に失せて、そんなときの国語の授業は苦痛でした。

高校時代の勉強

私は、もともとが自己の成長に価値を強く置いているような子どもでした。中学生の時には、自己研鑽のための手段として勉強をしていました。私のこうした特性は、高校生の時には読書に向かわせました。

高校時代の教科内容は、どの教科も大学で専門的に学ぶための準備のようなものです。ですから、天下り的な暗記が重要になってきます。学習内容の理解の深化は大学以降でやるべきことなのです。数学や物理は特にそうです。対象となることがらについて大いに考え、それらの本質を理解し、それを通じて自己を成長させようというのが、学習への取り組み方である私には、事実が天下り的に与えられ、それらを次々と暗記するだけの勉強はなじみませんでした。それで、勉強は試験前にやる程度になり、普段は専ら読書に時間を割くようになりました。

読書による基礎学力の伸び

高校1年生になって、人文系の文章に対する理解力が大きくあがったことも、勉強から気持ちが離れた一因でした。高校1年生の夏休みに夏目漱石の全集を9割方読んだことによって、文章理解力が大きく高まったのだと思います。そして、高校1年の冬休みに小林秀雄の本をだいたい読み終えると、思索の素材になる手頃な本はなくなってしまいました。そこで西洋思想の本を読み始めました。これらの本を読み、内容をあれこれ検討して理解し、自分なりの意見をそれにぶつけることをやっているうちに、賢さがようやく少しずつ身についていきました。

教えるという仕事の楽しさ

その後、中学1年生の頃に描いていた将来像とはまるで違って、大学に進学し、一般企業に就職した後、学習塾の講師になりました。学習塾の講師の仕事は、私にとって当たりでした。自己を高めたいという思いと同じような熱量で、目の前にいる生徒らの成績も学力も伸ばしてあげたいという気持ちが強くありました。そのために自分は何をすればいいのか考え、いろいろと実践するのが楽しくありました。
また、私自身が、教科の好き嫌いの偏りはあるものの、好きな教科の学習は寝食を忘れるほど楽しいというものもあって、生徒らにもまた、一教科でもいいから好きな教科を見つけてもらいたいという気持ちが強くありました。私が教えることで、自分の好きな教科、夢中になれる教科をみつけてもらえたときは、特に特に嬉しくなりました。

振り返って

小中学生に勉強を教えていつも思うのは、少年時代の私よりも基礎的な能力の高い子どもが非常に多いということです。勉強を教える生徒の半数は明らかに私よりも基礎的な能力が上です。けれども彼らの成績はそれほどではなく、佐和高校や勝田高校に進学していきます。緑岡高校や日立一高なら余裕をもって到達できる能力があるのに、その能力を活かさずに終わります。非常にもったいないことだと思います。
頭が良くはない私でもどうにか学力をある程度まで伸ばせたのに、私より頭の良い生徒が、それをしないでいます。この違いは何でしょうか?それは向上心だと思っています。
勉強ができるようになりたいという強い気持ちで勉強を続ければ、学力は大きく伸びると、私は思います。少し伸びるのではなく大きく伸びるのです。