完璧のぺき流、ハーバードに目覚める
深夜の書斎。完璧のぺき流は、間接照明の薄暗い灯りの中、もの静かにグラスを傾けていた。小皿に盛られたお新香をポリッと齧り、お気に入りの芋焼酎のロックをゆっくりと喉へ流し込む。静寂に包まれた、大人の至福の時間である。
ふと、机の端に無造作に積まれた朝刊へ視線を落としたその時だ。
「茨城県立日立第一高等学校の生徒、米国ハーバード大学へ合格・進学」
その見出しの活字を視認した瞬間、ぺき流の目の色が変わった。さらに下段の「日本国内の高校から直接合格する生徒は毎年ごくわずかである」という一文を見つけた彼は、無言のままペン立てから赤色の太字マーカーを引っこ抜き、紙面が破れんばかりの筆圧でビシッと直線を引いた。
「これだ……!」
ぺき流の顔に不敵な笑みが張り付く。その瞬間、彼の脳内に強烈なビジョンが閃いた。
『東大合格請負人』というこれまでの枠組みを完全に破壊し、ハーバードやスタンフォードを狙う『国際ランク上位大学合格請負人』として世界へ打って出る己の姿が――!
頭の中にその壮大なイメージが沸くや否や、ぺき流の身体は弾かれたように動いた。スリープ状態だったノートPCの画面をバンッ!と開き、キーボードが粉砕せんばかりの勢いで両手を叩きつけ始める。
静かな書斎に、カタタタタッ!ターン!と狂気的な打鍵音が鳴り響く。脳内のビジョンが、鬼の爆速で画面上の活字へと変換されていく。日立一高の生徒も実行したであろう、ハーバード大学合格に必要な全提出物の構築手順を、猛烈なスピードでドキュメントに叩き込んでいく。
1. 課外活動(学校外での業績)の構築手順
活動は「長期間継続し、具体的な成果を数値や物理的証拠として提出できるもの」に限定して実行する。以下のいずれか、または複数において実績を構築し、出願システムの活動リスト(最大10項目)に入力する。
-
A. 学術オリンピックへの参加とメダル獲得
数学、物理、化学、生物などの国内オリンピック予選にエントリーする。予選および本選の試験で基準点以上を獲得し、日本代表として選出される。国際大会の会場へ渡航し、試験を受験してメダル(金・銀・銅)を獲得する。獲得したメダルの賞状の画像をスキャンし、出願書類に添付する。 -
B. 独立研究プロジェクトの遂行と論文発表
学校のカリキュラム外で、特定の事象に関するデータを収集する(例:1,000件のアンケートサンプルの回収、100回の化学実験の反復実施)。収集したデータに基づき、英語で5,000〜10,000語の学術論文をタイピングする。査読付きの学術誌に論文データを送信し、掲載の承認を得る。または、JSEC等のコンテストに研究成果物を提出し、上位入賞を経てISEFへ進出する。 -
C. 非営利団体(NPO)または企業の設立と運営
法人登記を行う、またはウェブサーバーを構築してサービスを公開する。5名以上のチームメンバーを採用し、タスクを割り当てる。クラウドファンディング等で資金調達(例:100万円以上)を実行する、または特定の受益者(例:500人以上の利用者)に対してサービスやプロダクトを配布する。資金の移動記録(財務諸表)や利用者数の推移ログを実績証明として提出する。 -
D. 芸術・スポーツ分野での実績構築
国内外のコンクールや競技大会にエントリーし、上位入賞の記録を公式ウェブサイト等に残す。自身の演奏、制作した作品群、または競技中の動作を録画し、デジタルポートフォリオとして大学の出願システムにアップロードする。
2. 学業成績と標準テストの要求基準
学校内での成績および民間機関が実施するテストのスコア基準を以下の通り満たす。
- GPA(学校の成績): 高校1年から3年までの全科目の成績表において、5段階評価で平均4.8〜5.0の数値を記録する。
- SAT / ACT: SATの試験会場へ赴き、1600点満点中1500点以上のスコアを取得する。またはACTを受験し、36点満点中34点以上のスコアを取得する。
- 英語能力テスト: TOEFL iBTを受験し110点以上を取得する、またはIELTSを受験し8.0以上のスコアを取得する。
- AP試験: 指定の教科書を用いて独学し、AP試験を3〜5科目受験して最高スコア「5」を取得する。
3. エッセイの執筆手順
米国の大学出願システムを通じて提出する文章を作成する。
- 共通願書のエッセイおよび大学から指定される複数の追加エッセイを英語でタイピングする。
- 執筆工程において、「考えた」「感じた」「理解した」等の精神状態を表す動詞の入力を排除する。
- 代替として、「Xという問題に対し、Yという設計図を作成し、Z人に電子メールを送信し、結果としてW個のプロダクトを配布した」というように、自身の物理的な行動履歴と客観的な数値結果のみを時系列で記述する。
4. 推薦状の取得手順
第三者からの評価を文書として取得する。
- 教員2名およびスクールカウンセラー1名の計3名に対し、推薦状のタイピングを依頼する。
- 依頼時、教員に対して「授業中に何回挙手して発言したか」「他生徒の課題解決のために何時間データ入力を代行したか」等の具体的な行動と数値のリストを物理的に手渡し、その内容を推薦状内に転記するよう指示する。
5. 面接(Interview)での発声手順
出願書類提出後に行われる面接審査に対応する。
- 指定された日時および場所にて、ハーバード大学の卒業生(アルムナイ)と45〜60分間対面する。
- 面接官からの質問に対し、STAR法(Situation:状況の提示、Task:課題の提示、Action:実行した物理的行動の提示、Result:数値化された結果の提示)の順序で英単語を発声する。
「よし、完成だァ!!」
最後のエンターキーをターンッ!と親指で力強く叩き、ファイルの保存を完了させたぺき流。彼は再び焼酎のグラスを引っ掴むと、残存する氷と液体をカラカラと鳴らして一気に飲み干し、真夜中の書斎でビシッと天井に向かって天を指差した。
しかし。
静寂に包まれていた家中に突如響き渡った異常な大声と、常軌を逸したタイピング音で目を覚まし、様子を見に来た家族は、半開きのドアの隙間からその狂態を見て完全にドン引きしていた。
「お、おう……パジャマ姿で何やってんの……近所迷惑だから早く寝なよ……」
引きつった家族の呆れ声だけが、深夜の廊下にむなしく響いた。
翌日。
ぺき流が外出した昼下がりの書斎に、ひとりの老人が静かに佇んでいた。
かつての百円紙幣に描かれた板垣退助を、そのまま現代の一般家屋に連れてきたような、口元を覆う立派な白い八字髭と、胸元まで伸びた豊かな白髭。鼻筋の通った厳格な顔つきに、時代がかった古風な威厳を漂わせるその姿は、現代の一般家屋には明らかに不釣り合いである。
白髭の老人は、机の上に置かれたホチキス留めの紙の束を手に取った。一番上の用紙には、昨晩の狂乱のタイピングによって出力された『ペキ流・ハーバード大合格戦略ver.1.01』という仰々しいタイトルが印字されている。
老人は、その印刷物に並ぶ徹底的に物理的行動へと変換された冷徹な戦略の文字列を、鋭い眼光でなぞっていった。やがて、その威厳ある顔つきが、ふと感心したように和らぐ。
老人は豊かな白髭を指で撫でながら、静かな書斎に低く嗄れた声を響かせた。
「ふむ、指南書の内容は的を射ているぞい」