俳句の季語が、実際の季節の間隔とずれていることは多いですよね。特に7月や8月の頃の季節を表す風物詩と、季語とに齟齬があるように思えます。たとえば、七夕は7月7日だから季語は夏に思えますが、秋に分類されます。七夕と関連する天の川も秋です。スイカは8月に美味しく食べるから、夏の季語の気がしますが、これも秋です。
では、どうしてこのようなずれが生じるのでしょうか?それは俳句というジャンル、俳句の形式や決まりが確立した江戸時代に使われていた暦を考えれば明らかになります。ちなみに、俳句という名前は、明治期の正岡子規が名付けた言い方です。それまでは俳諧と呼ばれていました。
江戸時代の人々は、月の満ち欠けの周期を利用した太陰暦という暦を使っていました。明治それが、明治になって、日本が西洋の諸国を模範とし、西洋のさまざまな社会制度や文化風習を導入する中で、暦も太陰暦から太陽暦に替えられました。太陽暦は地球の公転周期を利用した暦です。
江戸時代の旧暦での1年の始まり、すなわち正月は、現在の太陽暦だと1月末から2月初めの時期でした。たとえば、ここ数年では、2015年2月19日が旧暦では1月1日でした。2016年は2月8日が旧暦の1月1日、2017年は1月28日が旧暦の1月1日、2018年は2月16日が旧暦の1月1日でした。
また、春夏秋冬の区切りについて、江戸時代の人々は太陰暦である旧暦の1月~3月を春、4~6月を夏、7月~9月を秋、10月~12月を冬としていました。そのために、7月7日の七夕や、それと関連した天の川を秋としたのです。
この旧暦の1~3月の春、4~6月の夏、7月~9月の秋、10月~12月の冬を、現在の暦に直すと、旧暦の1月1日が今の2月前後にあたるわけですから、2月~4月の風物詩が春になります。あとは順序よく、5月~7月の風物詩が夏、8月~10月の風物詩が秋、11月~1月の風物詩が秋になるわけです。朝顔は8月によく咲くので秋になります。けれども同じく8月に咲き誇るひまわりは夏の季語になります。なんでこの風物詩がこの季節になるのかと釈然としないものもいくつもありますが、それはルールとして定めているので納得するしかありません。たとえば、遠足は春の季語で、運動会は夏の季語というのも、その季節にやる学校が多いという理由から、そのように定めたルールなのです。