『新研究』4周目のワナ|完璧のぺき子ちゃん第2話
【AM 7:30】「4周目」への間違った決意
実力テストの成績表(5教科345点、偏差値54.2)を自分の部屋の引き出しの奥にそっと隠した翌朝、ぺき子ちゃんの行動は素早いものでした。
彼女は、今回のテストで点数が届かなかった原因を、頭の中でこう結論づけました。
「『新研究』の覚え方が、まだ完璧じゃなかったんだ。3周でダメなら、4周目をやればいい」
机の上に再び『新研究』がセットされます。今回新しく用意したのは、4周目の記録をつけるための新しいノートと、前の倍くらい太い、超極太の蛍光ピンクマーカーでした。
ここから、彼女の「完璧」へのこだわりは、さらに間違った方向へと突き進んでいくことになります。
【PM 8:30】問題の「答え」を丸暗記するという力技
4周目に入ったぺき子ちゃんは、ページのメインの部分だけでなく、隅っこに小さく書かれた「注意!」や「参考」の文字まで、すべて蛍光ペンでピンク色に塗りつぶしていきました。
- 理科・電流のページ:「電流の向きは、電子の動く向きと逆である」という一文を、ノートに10回連続で書き写します。手が痛くなってもペンを止めません。
さらに彼女は、何度も同じページを見ているうちに、恐ろしい「特殊能力」を身につけてしまいました。それは、「問題の最初の3文字を見ただけで、答えをハエ叩きのように思い出す」という力技です。
- 「大問4の(2)の答えは、塩化コバルト紙が赤くなる、だ」
これは、問題を解く力をつけているのではなく、ただ「新研究のページを写真みたいに丸暗記している」だけでした。
例えるなら、国語辞典の単語の順番を丸暗記しているだけで、一度も自分で作文の練習をしていないようなものです。でも、本人は「こんなに覚えているんだから完璧だ」と信じて疑いませんでした。
【11月 三者面談】地方の「安全圏」という落とし穴
11月中旬、中学校の進路指導室。
担任の先生は、ぺき子ちゃんが提出した志望校(地域の中堅・東西高校、偏差値55)の文字と、テストの点数を見比べながら、にっこり笑って言いました。
「ぺき子さん、実力テストは350点前後で安定していますね。東西高校なら、このまま学校のワークと『新研究』をしっかりやっていれば、ほぼ確実に合格できますよ。この調子で頑張りましょう」
横に座るお母さんが「よかったぁ……」とホッと胸をなでおろします。ぺき子ちゃんも嬉しそうに頷きました。
この地域では、偏差値55の高校に安全圏で合格するというのは、十分に優秀なことであり、誰も文句を言わない立派な成果だったからです。
でも、この部屋にいる誰も、その先の現実を知りませんでした。
高校受験で偏差値55の学校に入ったあと、高校の授業をきちんとこなして、3年後の大学受験で「地方の国立大学」に一般入試で合格できるのは、高校の中で上位数名というわずかな人たちだけだという厳しい現実には、誰も触れなかったのです。
「今の丸暗記の勉強の延長線上に、勝手に大学合格があるわけじゃない」ということに、まだ誰も気づいていませんでした。
【PM 10:00】実力テスト:見たことのないグラフの登場
11月後半、また次の県一斉実力テストがやってきました。
4周分の『新研究』をすべて頭にインストールしたぺき子ちゃんは、「今度こそ400点を超えてみせる」と意気込んで理科の問題を開きました。
大問5:【化学変化と質量】
実験の図を見た瞬間、ぺき子ちゃんは「もらった!」と思いました。
『新研究』で何度も見た「炭酸水素ナトリウムに塩酸を加える実験」の図だったからです。頭の中で「気体は二酸化炭素、石灰水が白く濁る」と答えがポンポン浮かびます。
ところが、問題文を読み進めると、だんだん様子がおかしくなってきました。
- 「実験2:炭酸水素ナトリウム1.0g〜5.0gに対し、異なる濃度の塩酸Aと塩酸Bをそれぞれ混ぜ合わせ、発生した気体の重さを調べた。結果は以下のグラフのようになった。このとき、塩酸Aの濃さは塩酸Bの何倍か、分数で答えなさい」
目の前に現れたのは、2本の直線が斜めに交差し、目盛りの数字も中途半端にズレている、見たこともない複雑なグラフでした。
ぺき子ちゃんの頭の中が、一瞬でパニックを起こします。
- 『新研究』の42ページに載っていたグラフは、まっすぐな直線が1本だけで、数字も綺麗に比例していたはず。
- 2本の線が交わっているところ、どうやって数字を読めばいいの?
- 「濃さが何倍か」なんて計算する公式、新研究の太字リストに載っていなかった……!
彼女が4周かけて一生懸命に磨いてきたのは、「あらかじめ用意されたまとめページから、決まった言葉を引っ張り出すスピード」だけでした。
2つのグラフを見比べて、
- 反応がぴったり終わっている場所の数値を、グラフからじっくり読み取る。
- それぞれの塩酸が、どのくらいのパワーを持っているか比べる。
- その比率から割り算をする。
という、「手持ちの基本の知識を、初めて見る問題に合わせて組み立てる」という練習を、彼女は一度もやってこなかったのです。
結果は、計算問題が全滅。
理科の点数は58点。5教科の合計は348点。
4周目という過酷な努力をしたのに、返ってきたのは、前回のテストからたった「3点」しか上がっていない、横ばいの数字でした。
【PM 11:30】本当の受験勉強の始まり
その夜、ぺき子ちゃんは自分の部屋で、ピンク色の蛍光ペンでパンパンになった『新研究』を、机の上に静かに置きました。
彼女は、ボロボロになったその本をじっと見つめながら、ある冷たい事実に気がつきました。
「この本は……私に『何がテストに出るか』を教えてくれるだけで、『初めて見る問題をどう解くか』は、どこにも書いていないんだ……」
勉強時間は誰よりも長いはずなのに、模試になると点数が伸びない。それは自分の努力が足りないからではなく、努力の方向が「丸暗記」に偏りすぎていたからだと、ようやく分かったのです。
ぺき子ちゃんは筆記用具を持ち替えました。5色のペンではなく、1本の黒いシャープペンシル。
そして、4周目にして初めて、『新研究』をただ繰り返し解くのをやめました。
- 『新研究』の全ページをパラパラとめくり、単語の一問一答のように「もう絶対に間違えない単元」のページの上に、大きく「確認終了」と鉛筆で書き込みました。
- 今回間違えた「化学の計算」や「図形」のページを開き、そこに載っている薄い解説を読む代わりに、中学1年・2年のときに学校で配られた「学校の教科書」と「学校のワーク」を本棚からガサゴソと引っ張り出して、机の上に並べました。
彼女の机の上から、無駄にカラフルな蛍光ペンが消えました。
そこにあるのは、地味な教科書と、真っ白なノートだけ。
「完璧のぺき子ちゃん」が、ただの丸暗記を卒業し、自分の頭で考える「本当の受験勉強」をスタートさせたのは、まさにこの瞬間でした。
(第3話へ続く)