「劣等感を習いに行っているようだった」―そろばん塾と学習性無力感の話
できないことを繰り返すと、人はどうなるのか
「頑張ればできるようになる」
勉強でも習い事でも、よく言われる言葉です。
もちろん、それは正しい場面もあります。繰り返し練習すれば、少しずつできるようになることも多い。
しかし、すべてがそうなるとは限りません。
むしろ、同じことを何度もやっているのに、どうしてもうまくいかない場合もあります。
そのとき、人の中で起きていることは、単なる「努力不足」ではありません。
「劣等感を習いに行っているようだ」と思った小1の自分
私自身、小学校1年生のときにそろばん塾に通っていました。
周りの子は、だんだんできるようになっていく。珠をはじく音も速くなる。問題も解けるようになる。
しかし、自分はどうしてもそれがうまくいかない。
練習しても、練習しても、うまくならない。
そのとき、子どもながらにこう思いました。
「これは、劣等感を習いに来ているようなものじゃないか」
少し大げさに聞こえるかもしれませんが、その感覚はかなりはっきりしていました。
できるようになるために来ているはずなのに、来るたびに「できない自分」を確認して帰る。
それが積み重なると、練習そのものが苦しくなっていく。
あとから知った「学習性無力感」という言葉
それから何十年も経って、「学習性無力感」という心理学の概念を知りました。
簡単に言うと、
何をやっても結果が変わらない経験が続くと、人は「どうせやっても無理だ」と感じてしまい、行動しなくなる
というものです。
この説明を見たとき、すぐにあのときの感覚とつながりました。
そろばん塾で感じていたことは、まさにこれだったのだと。
問題は「やらないこと」ではない
ここで大事なのは、表面だけを見ると逆に見えるということです。
学習性無力感の状態にある子は、やらなくなります。
しかし、その前には「やっていたのに、うまくいかなかった」という経験があります。
最初からやらなかったわけではない。
むしろ、やろうとしていた。
しかし、その努力が結果に結びつかない経験が続くと、「やっても変わらない」という感覚が生まれる。
その結果として、やらなくなる。
子どもは「怠けている」のではない
ここを見誤ると、「やる気がない」「怠けている」という評価になりがちです。
しかし実際には、そうではないことが多い。
何度も挑戦して、うまくいかず、その結果として動けなくなっている。
つまり、問題は根性ではなく、経験の積み重なりです。
学習性無力感は、人格にまで食い込む
学習性無力感の本当に恐ろしいところは、単に「勉強しなくなる」ことではありません。
もっと深いところで、自分自身の見方を変えてしまうことです。
最初は、ある一つのことができないだけだったはずです。
そろばんができない。計算が遅い。英単語が覚えられない。文章問題が解けない。
本来なら、それは一つの課題にすぎません。
しかし、できない経験が何度も積み重なると、子どもはそれを「この課題が苦手だ」とだけ受け取らなくなります。
やがて、
「自分はダメな人間なのではないか」
という感覚に変わってしまうことがあります。
これはとても怖いことです。
できないのは、そろばんだけだったはずです。
分からないのは、その単元だけだったはずです。
しかし、失敗が続くと、子どもはそれを自分の人格全体の問題のように感じてしまう。
「自分は頭が悪い」
「自分は何をやってもダメだ」
「どうせ自分には価値がない」
そういう方向へ、自己評価が沈んでいくことがあります。
ここまでくると、問題はもう勉強だけではありません。
自分を大切にする力そのものが弱くなってしまいます。
どうせ自分なんて、と思う。
どうせやっても無駄だ、と思う。
どうせ分かってもらえない、と思う。
すると、勉強から逃げるだけでなく、自分の可能性まで雑に扱うようになってしまう。
これが、学習性無力感の本当に危険なところです。
だからまず変えるべきは「成功体験の構造」
では、どうすればいいのか。
ここで必要なのは、「もっと頑張らせること」ではありません。
必要なのは、
「やれば変わる」という感覚を取り戻すこと
です。
そのためには、課題の設定を変える必要があります。
今のその子にとって、
・少し頑張ればできる
・やった分だけ変化が見える
・結果が返ってくる
そういうラインまで難易度を下げる。
小さくてもいいので、「やれば変わる」という経験を積み直す。
ここが出発点になります。
私が塾で気をつけていること
この経験があるので、塾での指導ではここをかなり意識しています。
できない状態のまま、同じことを繰り返させない。
「頑張ればできるはず」と言って押し続けない。
その子にとっての「できる一歩」を見つける。
そして、その一歩が確実に前に進むように設計する。
そうしないと、勉強は「劣等感を確認する場所」になってしまうからです。
子どもに必要なのは、「できない自分」を何度も突きつけられることではありません。
必要なのは、「少しやれば変わる」「自分にも進める部分がある」と感じられる経験です。
その経験がないまま努力だけを求めても、子どもは前向きにはなれません。
理解すると、表情が変わる
この話を、生徒にすることがあります。
「できないのは、お前がダメだからじゃない。こういう状態って、人に普通に起きるんだ」
そう伝えると、表情が少し変わる子がいます。
さっきまで沈んでいた顔が、少し明るくなる。
それは、「自分だけではなかった」と分かるからです。
そして、「やり方を変えればいいのかもしれない」と思えるからです。
自分の人格が否定されていたのではない。
自分に価値がないわけではない。
ただ、うまくいかない経験が続きすぎて、「やっても変わらない」と感じる状態になっていただけかもしれない。
そう見え方が変わるだけで、子どもの表情は変わります。
勉強は、劣等感を積み重ねる場であってはいけない
勉強は、本来、できることを増やしていくためのものです。
しかしやり方を間違えると、できないことを確認し続ける場になってしまう。
そうなると、学力の問題ではなく、心の問題に変わります。
さらに深くなると、「この問題ができない」では済まなくなります。
「自分はどうせダメだ」
「自分には価値がない」
そこまで食い込んでしまうことがあります。
だからこそ、
「何をやるか」だけでなく、「どの状態でやらせるか」
が大切になります。
やれば変わる、という感覚を持てる状態で学ぶこと。
自分を大切にする力を失わない状態で学ぶこと。
そこからしか、本当の意味での積み上げは始まりません。
この記事で扱っている「学習性無力感」は、学習心理学の一つです。
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