教育心理学と教育社会学は何を見ているのか
教育心理学と教育社会学は、何を見ているのか
卒論のインタビュー調査から考えたこと
大学で教育社会学を学んでいた頃、私は卒業論文のために中学生へのインタビュー調査を行っていました。
テーマは、中学生の部活動と学習意欲の関係です。
部活動に熱心に取り組んでいる生徒は、その経験をどのように勉強への姿勢につなげているのか。あるいは、部活動での充実は、必ずしも学習意欲には結びつかないのか。
そうしたことを考えるために、生徒たちの話を聞いていました。
その中で、教育心理学と教育社会学の違いについて考えさせられる場面がありました。
どちらも教育を扱います。どちらも生徒の意識や行動を扱います。しかし、説明の仕方がかなり違います。
教育心理学は、学習する人の認知・感情・動機づけの仕組みを精密に見ようとします。
教育社会学は、その人が置かれている家庭、地域、学校、友人関係、部活動、進路期待などの中で、勉強がどのような意味を持っているのかを見ようとします。
この違いは、単に「心理学は個人を見て、社会学は社会を見る」というだけでは言い切れません。
なぜなら、社会学もまた、個人の意識や意味づけを扱うからです。
重要なのは、どこに説明の中心を置くかです。
教育心理学は、学習する人の心理過程を分析する
教育心理学は、「心の中を見る」というだけの大ざっぱな学問ではありません。
むしろ、生徒が学習に向かうときに働く心理的な過程を、かなり厳密に捉えようとします。
たとえば、自己効力感という考え方があります。
これは、「自分はこの課題をやればできる」と感じられるかどうかに関わります。
同じ問題を前にしても、「何とかできそうだ」と思う生徒と、「どうせ無理だ」と思う生徒では、取り組み方が変わります。
また、原因帰属という見方もあります。
テストで失敗したときに、「今回は準備が足りなかった」と考えるのか、「自分は頭が悪いから無理だ」と考えるのか。
失敗の原因をどこに置くかによって、その後の学習行動は変わります。
さらに、内発的動機づけ、外発的動機づけ、達成目標、学習性無力感、認知負荷、メタ認知など、教育心理学には学習を説明するためのさまざまな概念があります。
これらは、生徒の状態を単に「やる気がある」「やる気がない」と見るのではありません。
学習行動を生み出している認知、感情、期待、自己評価、注意、記憶、動機づけの仕組みとして分析します。
つまり教育心理学は、学習意欲を、個体内で働く心理的メカニズムとして捉える学問だと言えます。
教育社会学は、勉強の社会的な位置づけを見る
一方で、教育社会学は別の問いを立てます。
ある生徒が勉強する。ある生徒が勉強しない。
そのとき教育社会学は、本人の心理的メカニズムだけで説明を終えません。
その生徒の家庭では、進学や学歴はどのような意味を持っているのか。
地域の中で、地元に残ること、進学すること、働くことは、どのように見られているのか。
部活動は、その生徒にとってどのような居場所になっているのか。
友人関係の中で、勉強することはどのように位置づけられているのか。
家庭の生活基盤は安定しているのか。不安定なのか。
将来への不安や期待は、どの程度具体的なものとして感じられているのか。
教育社会学は、このような社会的な条件の中で、勉強や進学がその生徒にとってどのようなものとして現れているのかを考えます。
ここで見ているのは、単なる外部環境ではありません。
家庭、地域、学校、部活動、友人関係といった生活世界の中で、勉強という行為がどのような意味を帯びているのかです。
ある中学3年生の例
インタビュー調査の中に、サッカー部に熱心に取り組んでいる中学3年生がいました。
その生徒の家庭は、地域に根づいた生活をしていました。
近くには祖父母が住んでおり、農地で農作物も作っていました。両親は共働きで、きょうだいも複数いました。上のきょうだいは中学1年生の頃から学習塾に通っていました。家は持ち家で、生活の基盤は比較的安定しているように見えました。
この生徒を見たとき、「学習意欲が高いか低いか」という言い方だけでは、何かを取り逃がしてしまうように感じました。
もちろん、教育心理学的に見ることはできます。
この生徒は勉強に自信を持っているのか。成功体験はあるのか。失敗をどう受け止めているのか。勉強に対してどのような目標を持っているのか。
そうした問いは重要です。
しかし、それだけでは、この生徒の姿を十分には捉えられないように思えました。
この生徒には、地域の中に生活の基盤がありました。家族のつながりがあり、祖父母が近くにいて、農地があり、持ち家がありました。そして、部活動ではサッカーに熱心に打ち込んでいました。
そのような生活の中で、勉強はどの程度、切実なものとして立ち上がるのか。
ここで問題になるのは、単なる意欲の量ではありません。
勉強が、その生徒の生活全体の中で、どのような位置を占めているのかということです。
その子にとって、サッカー部で仲間と練習すること、試合に出ること、チームの中で役割を持つことは、非常に現実感のある世界だったかもしれません。
一方で、勉強は「やった方がいいもの」ではあっても、「今の自分にとってどうしても必要なもの」としては、まだ強く現れていなかった可能性があります。
この見方は、教育心理学だけでは出てきにくいものです。
「個人の中」ではなく、説明の単位が違う
教育心理学と教育社会学の違いを考えるとき、「心理学は個人の中を見る。社会学は外側を見る」と言うだけでは不十分です。
社会学も、個人の意識や意味づけを扱います。
生徒が何を大事だと思っているのか。勉強をどう感じているのか。将来をどう見ているのか。部活動をどう意味づけているのか。
こうしたものは、社会学にとっても大切です。
ただし、社会学はそれを個体内の心理過程だけとして扱いません。
その意識が、どのような家庭、地域、学校、集団、制度、文化の中で形づくられているのかを見ます。
教育心理学は、学習意欲を支える心理的な仕組みを問います。
教育社会学は、学習意欲が生まれたり、生まれなかったりする社会的な場を問います。
同じ生徒を見ていても、説明の単位が違うのです。
「やる気がない」とは、何を意味しているのか
学習意欲という言葉は便利です。
勉強する生徒には意欲がある。勉強しない生徒には意欲がない。
そう言ってしまえば、話は簡単です。
しかし、インタビュー調査をしていると、その単純な言い方では足りないことが分かってきます。
ある生徒にとって、勉強は「将来を切り開くためのもの」として見えているかもしれません。
別の生徒にとっては、「親に言われるからやるもの」かもしれません。
また別の生徒にとっては、「自分の苦手さを思い知らされるもの」かもしれません。
さらに別の生徒にとっては、「今の生活とはあまり関係のないもの」かもしれません。
同じ勉強でも、意味は同じではありません。
教育心理学は、その違いを心理的な過程として分析します。
なぜ自信が持てないのか。なぜ失敗を恐れるのか。なぜ課題に価値を感じられないのか。なぜ努力しても無駄だと思ってしまうのか。
教育社会学は、その違いを生活世界の中で考えます。
なぜその家庭では、勉強がそのような意味を持つのか。なぜその地域では、進学が切実なものとして感じられにくいのか。なぜその生徒にとって、部活動の方が勉強よりも現実感のある世界になっているのか。
この二つの問いは、似ているようで違います。
心理的メカニズムと社会的文脈
教育心理学と教育社会学の違いは、「個人か社会か」という単純な対立ではありません。
より正確には、心理的メカニズムを中心に説明するのか、社会的文脈の中で意味づけを説明するのかの違いです。
教育心理学は、学習する人の認知、感情、動機づけ、自己評価、記憶、注意などの働きを細かく見ます。
そのため、学習意欲がどのように高まるのか、あるいは低下するのかを、心理的な過程として説明することに強みがあります。
教育社会学は、生徒の意識や行動を、家庭、地域、学校、友人集団、部活動、階層、文化、制度の中で見ます。
そのため、なぜある生徒にとって勉強が切実なものとして見え、別の生徒にとってはそう見えないのかを、生活世界の中で説明することに強みがあります。
どちらも、学習意欲を考えるうえで重要です。
しかし、同じことをしているわけではありません。
教育心理学は、学習行動を生み出す心理的な過程を見る。
教育社会学は、その学習行動が意味を持つ社会的な文脈を見る。
卒業論文のためのインタビュー調査を通して、この違いが少しずつ見えてきたように思います。