ゲームは本当に脳に悪いのか?アクションゲームと認知能力
ゲームは本当に「脳を悪く」するのか? 認知神経科学が明かすアクションゲームの意外な効能
かつて日本社会では、「ゲーム脳」という言葉が一世を風靡しました。
ゲームをやりすぎると脳の働きが低下する。
集中力がなくなる。
勉強ができなくなる。
キレやすくなる。
このように、ゲームは子どもの脳にとって「一方的に害をなす悪者」として語られた時期がありました。
もちろん、ゲームのやりすぎが生活リズムを破壊したり、勉強時間や睡眠時間を奪ったりすれば、それは大きな問題です。夜更かしをして寝不足になれば翌日の授業に集中できず、成績が下がるのは当然の物理法則です。
しかし、「ゲームという行為そのものが脳を直接的に劣化させる」と単純に言い切ってよいのでしょうか。最新の科学的知見に照らし合わせると、事態はそれほど単純ではないことがわかってきています。
TEDトークでも話題になった認知神経科学者、ダフネ・バヴェリアー(Daphne Bavelier)氏の研究は、この固定観念に非常に興味深い一石を投じています。彼女の研究テーマは「経験や訓練によって脳がどう適応・変化するか」ですが、その中でアクションゲームが視覚や注意力に与える影響について言及しているのです。
ここで重要なのは、ゲーム全般の話ではなく「アクションゲーム」に焦点が当てられている点です。
敵が突然出現する。
画面のあちこちで動的オブジェクトが交差する。
自分の位置、敵の位置、障害物、方向、距離、タイミングを同時に把握し、一瞬で状況を判断する。
このようなゲームは、ただ漫然と画面を眺めているだけでは一歩も進めません。
目で情報を拾い、脳で判断し、指先を動かす。しかも、それを極めて高速で処理し続ける必要があります。つまり、アクションゲームは単なる娯楽であると同時に、脳にとって非常に負荷の高い「視覚・注意・判断の連続トレーニング」になっているのです。
「視力が上がる」のではなく「脳の視覚処理能力」が上がる
バヴェリアー氏らの研究でよく取り上げられるのが、アクションゲームと「見る力」の関係です。
ここで絶対に誤解してはいけない点があります。「ゲームをすると視力が上がる」と聞くと、「近視が治る」「眼鏡がいらなくなる」といった「眼球(レンズ)そのものの機能回復」をイメージしがちですが、それは間違いです。研究で言及されているのは、眼球の機能ではなく、脳が映像のコントラストを見分ける力(コントラスト感度)です。
たとえば、薄い灰色と少し濃い灰色の違いを見分ける。
ごちゃごちゃした背景の中に埋もれたターゲットを素早く見つけ出す。
霧や暗闇といった不明瞭な視界から、必要な情報だけを抽出する。
こうした能力をコントラスト感度と呼びます。実際に、アクションゲームを一定期間プレイしたグループは、別のジャンルのゲームをプレイしたグループと比較して、このコントラスト感度が有意に向上したという研究結果(※1)が報告されています。
私たちは普段、「見る」という行為を目だけの働きだと思いがちです。しかし実際には、目から入った生データを、脳が瞬時に処理して「意味のある映像」として組み立てています。「どこが輪郭か」「何が動いているのか」「背景と対象物の境界はどこか」といった判断を、脳は無意識下で一瞬で行っています。
アクションゲームでは、この「脳による映像の解析作業」が極限のスピードで連続します。結果として、眼球が良くなるのではなく、目から入った情報を処理する「脳の視覚処理ネットワーク」が強力に鍛えられると考えるのが正確です。
広い視野から情報を抽出する「注意力」と「空間認識」
もうひとつ、アクションゲームが強く要求するのが「注意力」と「空間認識能力」です。
アクションゲームでは、画面の中心だけを注視していては生き残れません。右から敵が迫り、左で味方が動き、奥に障害物があり、画面の隅には残り時間やアイテムのゲージが表示されている。これら複数の視覚情報を、瞬間的に拾い集める必要があります。
これは、机に向かって1つの文章をじっくり読み込むような「一点集中の力」とは異なる種類の能力です。GreenとBavelierの研究(※2)では、アクションゲームの経験者は、画面上の複数の対象を同時に追跡したり、無関係な情報の中から必要なターゲットだけを素早く見つけ出したりする「視覚的注意課題」において、高いパフォーマンスを示すことが報告されています。
昔ながらの「ゲームをすると集中力がなくなる」という意見とは裏腹に、特定のゲームはむしろ特定の注意力を極度に酷使し、鍛え上げているのです。
また、空間認識能力の稼働も無視できません。
自分が今どこにいて、敵はどの角度から迫り、地形の起伏や奥行きはどうなっているのか。動く自分と動く敵、刻々と変化する3D空間の地図を、頭の中で常に再構築し続ける必要があります。
これは非常に高度な認知活動です。もちろん、数学の幾何学や物理のベクトル問題を解くのと同じ能力だとは言いません。しかし、「頭の中で立体空間をイメージし、位置関係を把握し、動きを予測する力」は、図形問題、建築、工学、さらにはスポーツなど、現実世界の多くの場面で必須となる基礎能力です。
アクションにはアクションの、RPGにはRPGの「脳の使い方」がある
ここで注意すべきは、すべてのゲームを一括りにしてはいけないということです。
バヴェリアー氏が扱っているのは、視覚的注意や瞬間的判断を要するアクションゲームです。では、RPG(ロールプレイングゲーム)は脳にとって意味がないのでしょうか?
決してそうではありません。RPGにはRPG特有の認知活動があります。
長大な物語を読み解く。
複雑な人間関係や専門用語を理解・記憶する。
限られた資金やアイテムをどう配分するか計画を立てる(資源管理)。
中長期的な目標を設定し、キャラクターを育成する。
これらは、アクションゲームとは全く異なる脳の部位を使っています。
「本を読む」といっても、小説、漫画、学術書では頭の使い方が違うように。「スポーツ」といっても、100m走とサッカーでは鍛えられる筋肉が違うように。ゲームもまた、ジャンルによって脳に要求する能力が明確に異なるのです。
「ゲーム=悪」という思考停止から抜け出すために
私たちはゲームについて語るとき、つい「勉強=善」「ゲーム=悪」という単純な道徳論で片付けてしまいがちです。
「ゲーム脳」という言葉は、大人が子どもを叱るための非常にわかりやすい便利なワードでした。しかし、その「わかりやすさ」のせいで、ゲームの中で子どもたちが実際に稼働させている認知能力が見えなくなってしまったのも事実です。
本当に大切なのは、「ゲームをしているからダメだ」と条件反射で否定することではありません。
そのゲームは、脳に何をさせているのか。
瞬発的な判断力を要求しているのか。
複雑なリソース管理をさせているのか。
オンラインで他者と連携し、コミュニケーションをとらせているのか。
「何を使わせている遊びなのか」を解像度高く見極める視点が必要です。
もちろん、冒頭で述べた通り、リスク管理は必須です。アクションゲームが視覚的注意力を鍛えるからといって、「だから1日何時間やってもいい」という免罪符にはなりません。睡眠時間を削り、現実世界の人間関係や学校の勉強を圧迫するようになれば、それは「用法用量を間違えた毒」になります。
ゲームは、付き合い方次第で脳の特定の機能を高める訓練にもなれば、生活を破壊する毒にもなります。
「ゲームはすべて悪い」と決めつけるのではなく、あるいは「ゲームで頭が良くなる」と盲信するでもなく。子どもが今、画面の中で「何を見て、何を判断しているのか」を客観的に観察する。そこから対話を始めることが、現代における最も賢明なゲームとの付き合い方ではないでしょうか。