# 誰も知らない塾を選ぶ生徒たち

## 口コミが広がらないことにも、理由がある

城東進学会は、地域でよく知られた大きな塾ではありません。

東海村の合同庁舎や消防署の道路を挟んだ向かい側にあり、車の往来も多い通りに面しています。場所としては、決して奥まったところにあるわけではありません。

それでも、塾を探している方から、

「こんなところに塾があったんですね」

と言われることがあります。

これは不思議なことです。

見えない場所にあるわけではない。
しかし、塾を探す人たちの話題の中には、あまり上がってこない。

長く塾を続けていると、この理由について、私なりに思うところがあります。

それは単に、宣伝が足りないとか、看板が小さいとか、そういうことだけではないように感じています。

もちろん、それもあるでしょう。

しかし、それだけでは説明できないことがあります。

なぜなら、城東進学会に通っていた生徒たちの中には、成績が上がっても、あまり人に言わない子が少なくなかったからです。

普通に考えれば、塾で成績が上がれば、友達に話してくれそうなものです。

「どこの塾行ってるの?」
「城東進学会だよ」

そんなふうに広がってもよさそうです。

ところが、実際にはそうならないことがある。

なぜか。

それは、生徒たちにとって、塾に通っていること自体が、あまり人に知られたくない情報である場合があるからです。

勉強が苦手な子は、自分の成績が悪いことを友達に知られたくありません。

これは分かりやすい話です。

学校で点数が悪かった。
授業についていけなくなってきた。
親に塾へ行くように言われた。

そういう状態で、知っている子がたくさんいる塾へ行くのは、かなり勇気がいります。

「あいつ、成績悪いから塾行き始めたんだ」

そんなふうに思われるのが嫌なのです。

だから、誰も知らない塾を選ぶ。

これは自然な心理です。

けれど、この話は、成績が悪い子だけに限りません。

学校では「勉強ができる子」と見られている生徒にも、同じような悩みがあります。

たとえば、英語や国語はよくできる。
成績も上位に入っている。
学校でも、しっかりした子だと思われている。

でも、数学や理科だけが苦手。

こういう生徒は、意外といます。

周囲から「頭がいい子」と見られているからこそ、その苦手を見られたくない。

「え、数学できないの?」
「意外」

そう言われるのがつらい。

できない子が、できないことを隠したい。
できる子もまた、できない部分を隠したい。

立場は違っても、根っこには同じものがあります。

自分の弱点を、人に見られたくない。

塾選びには、こういう気持ちが入り込んでいます。

ずいぶん前のことですが、印象に残っている出来事があります。

ある生徒が、知っている人があまり通っていない塾だから、という理由で城東進学会に来たことがありました。

学校では、どちらかといえば成績のよい生徒として見られていた子です。
けれど、特定の教科でつまずいていました。

そこで、誰も知らない塾なら通いやすいと思って来た。

ところが、いざ来てみると、同じ学年の生徒がもう一人いました。

しかも、その生徒は同じクラスの子でした。

それだけでも気まずいのに、学校の席も近かった。

本人からすれば、かなりの事故です。

誰も知らない塾を選んだはずなのに、よりによって同じクラスの生徒がいた。
しかも、自分が苦手としている教科まで知られてしまった。

小説で書いたら、「偶然が強すぎる」と言われそうな出来事です。

ところが、その後がおもしろいところでした。

苦手がばれたことで、学校でもその教科について気軽に質問できるようになったのです。

それまでは、できる子として見られている自分を守るために、なかなか聞けなかった。
けれど、塾で見られてしまったことで、逆に聞きやすくなった。

相手の生徒にとっても、事情がありました。
自分も塾に通っていることを、あまり大きく言いたくない。

だから、二人の間には、少し不思議な秘密ができました。

学校では普通に隣にいる。
でも、実は同じ塾に通っている。
片方は苦手教科を見られている。
もう片方も、塾に通っていることを大きく言わない。

その秘密が、かえって関係を少しやわらかくしたのだと思います。

弱点を知られることは、普通は恥ずかしいことです。

しかし、それをからかわれたり、評価されたりしない関係の中で共有できると、弱点は別の意味を持ちます。

「できないこと」そのものが、質問できるきっかけになる。

これは、勉強においてかなり大きいことです。

多くの子どもたちは、分からないことがあるから困っているだけではありません。

分からないと言えないから困っているのです。

なぜ言えないのか。

周囲からどう見られるかが気になるからです。

学校には、どうしても評価があります。

成績の評価。
先生からの評価。
友達からの評価。
「できる子」「できない子」という見られ方。
「まじめ」「頭がいい」「勉強が苦手」「意外とできない」などの印象。

子どもたちは、その中で生活しています。

だから、勉強の弱点は、単なる学習上の問題ではなく、自分の立ち位置に関わる問題になります。

数学ができない。
英語が読めない。
理科が分からない。

それは、本人の中では、単なる科目の問題ではないことがあります。

「自分はどう見られるのか」
「今までの自分のイメージが崩れないか」
「友達に知られたらどう思われるか」

そういうことと結びついてしまう。

そのとき、知っている人がたくさんいる塾は、かえって通いにくくなります。

大きな塾、有名な塾、友達がたくさんいる塾。

それは安心材料になることもあります。

けれど、ある生徒にとっては、そこが負担になることもあります。

だから、誰も知らない塾を選ぶ。

これは、逃げているわけではありません。

むしろ、自分の弱点を立て直すために、余計な視線から少し離れようとしているのです。

このように考えると、城東進学会に口コミが広がりにくかった理由も、少し違って見えてきます。

成績が上がらなかったから口コミが広がらなかった、という単純な話ではありません。

成績が上がっても、通っていたことを言わない。
苦手だったことも言わない。
どこで立て直したかも言わない。

なぜなら、その秘匿性こそが、通いやすさの一部だったからです。

これは、塾の経営として考えると困ったことです。

口コミが広がらない。
生徒数が増えない。
地域で名前が上がりにくい。

普通なら、それは弱点です。

しかし、生徒の側から見ると、少し違います。

知られていないから通いやすい。
友達がいないから安心できる。
自分の弱点を、学校の評価から少し離れたところで直せる。

そういう価値がある。

もちろん、誰にも知られないことだけが安心なのではありません。

先ほどの話のように、偶然、知っている生徒がいることもあります。

世の中は狭いものです。

けれど、大切なのは、知られないことだけではありません。

知られても、からかわれないこと。
知られても、比べられないこと。
知られても、その弱点が傷にならないこと。

そのような空気があれば、生徒は少しずつ自分の課題に向き合えるようになります。

私は、長く塾を続けてきて、このことを何度も感じてきました。

子どもたちは、ただ「分かりやすい授業」を求めているだけではありません。

もちろん、分かりやすい説明は大切です。

しかし、それ以前に、

「ここなら、自分の分からなさを見せても大丈夫か」
「ここなら、できないところから始めても笑われないか」
「ここなら、今の自分を必要以上に恥じなくてすむか」

ということを、かなり敏感に見ています。

誰も知らない塾を選ぶ生徒たち。

その選択の中には、子どもたちなりの切実な判断があります。

自分の弱点を守りながら、どうにか立て直したい。

今の自分を、必要以上に人に見られずに、もう一度始めたい。

城東進学会は、地域で大きく知られた塾ではありません。

けれど、その知られていなさが、ある生徒にとっては、通いやすさになることがあります。

それは、誇るようなことではないかもしれません。

でも、卑下することでもないと思っています。

大きな塾には、大きな塾の役割があります。
有名な塾には、有名な塾の安心があります。

そして、誰も知らないような小さな塾にも、そこだから果たせる役割があります。

人目を気にせず、自分の課題に向き合う場所。

知られていないからこそ、安心して入ってこられる場所。

弱点を見せても、それがその子全体の評価にならない場所。

そういう場所を必要とする生徒たちがいます。

城東進学会が、長く大きくならなかった理由は、単に宣伝が下手だったからだけではないのかもしれません。

ここに通っていたことを、あえて言わない生徒たちがいた。

そのこと自体が、この塾のひとつの特徴だったのだと思います。