誰も知らない塾を選ぶ生徒たち 2026.5.02版
# 誰も知らない塾を選ぶ生徒たち
## 口コミが広がらないことにも、理由がある
城東進学会は、地域でよく知られた大きな塾ではありません。
東海村の合同庁舎や消防署の道路を挟んだ向かい側にあり、車の往来も多い通りに面しています。場所としては、決して奥まったところにあるわけではありません。
それでも、塾を探している方から、
「こんなところに塾があったんですね」
と言われることがあります。
これは不思議なことです。
見えない場所にあるわけではない。
しかし、塾を探す人たちの話題の中には、あまり上がってこない。
長く塾を続けていると、この理由について、私なりに思うところがあります。
それは単に、宣伝が足りないとか、看板が小さいとか、そういうことだけではないように感じています。
もちろん、それもあるでしょう。
しかし、それだけでは説明できないことがあります。
なぜなら、城東進学会に通っていた生徒たちの中には、成績が上がっても、あまり人に言わない子が少なくなかったからです。
普通に考えれば、塾で成績が上がれば、友達に話してくれそうなものです。
「どこの塾行ってるの?」
「城東進学会だよ」
そんなふうに広がってもよさそうです。
ところが、実際にはそうならないことがある。
なぜか。
それは、生徒たちにとって、塾に通っていること自体が、あまり人に知られたくない情報である場合があるからです。
勉強が苦手な子は、自分の成績が悪いことを友達に知られたくありません。
これは分かりやすい話です。
学校で点数が悪かった。
授業についていけなくなってきた。
親に塾へ行くように言われた。
そういう状態で、知っている子がたくさんいる塾へ行くのは、かなり勇気がいります。
「あいつ、成績悪いから塾行き始めたんだ」
そんなふうに思われるのが嫌なのです。
だから、誰も知らない塾を選ぶ。
これは自然な心理です。
けれど、この話は、成績が悪い子だけに限りません。
学校では「勉強ができる子」と見られている生徒にも、同じような悩みがあります。
たとえば、英語や国語はよくできる。
成績も上位に入っている。
学校でも、しっかりした子だと思われている。
でも、数学や理科だけが苦手。
こういう生徒は、意外といます。
周囲から「頭がいい子」と見られているからこそ、その苦手を見られたくない。
「え、数学できないの?」
「意外」
そう言われるのがつらい。
できない子が、できないことを隠したい。
できる子もまた、できない部分を隠したい。
立場は違っても、根っこには同じものがあります。
自分の弱点を、人に見られたくない。
塾選びには、こういう気持ちが入り込んでいます。
ずいぶん前のことですが、印象に残っている出来事があります。
ある生徒が、知っている人があまり通っていない塾だから、という理由で城東進学会に来たことがありました。
学校では、どちらかといえば成績のよい生徒として見られていた子です。
けれど、特定の教科でつまずいていました。
そこで、誰も知らない塾なら通いやすいと思って来た。
ところが、いざ来てみると、同じ学年の生徒がもう一人いました。
しかも、その生徒は同じクラスの子でした。
それだけでも気まずいのに、学校の席も近かった。
本人からすれば、かなりの事故です。
誰も知らない塾を選んだはずなのに、よりによって同じクラスの生徒がいた。
しかも、自分が苦手としている教科まで知られてしまった。
小説で書いたら、「偶然が強すぎる」と言われそうな出来事です。
ところが、その後がおもしろいところでした。
苦手がばれたことで、学校でもその教科について気軽に質問できるようになったのです。
それまでは、できる子として見られている自分を守るために、なかなか聞けなかった。
けれど、塾で見られてしまったことで、逆に聞きやすくなった。
相手の生徒にとっても、事情がありました。
自分も塾に通っていることを、あまり大きく言いたくない。
だから、二人の間には、少し不思議な秘密ができました。
学校では普通に隣にいる。
でも、実は同じ塾に通っている。
片方は苦手教科を見られている。
もう片方も、塾に通っていることを大きく言わない。
その秘密が、かえって関係を少しやわらかくしたのだと思います。
弱点を知られることは、普通は恥ずかしいことです。
しかし、それをからかわれたり、評価されたりしない関係の中で共有できると、弱点は別の意味を持ちます。
「できないこと」そのものが、質問できるきっかけになる。
これは、勉強においてかなり大きいことです。
多くの子どもたちは、分からないことがあるから困っているだけではありません。
分からないと言えないから困っているのです。
なぜ言えないのか。
周囲からどう見られるかが気になるからです。
学校には、どうしても評価があります。
成績の評価。
先生からの評価。
友達からの評価。
「できる子」「できない子」という見られ方。
「まじめ」「頭がいい」「勉強が苦手」「意外とできない」などの印象。
子どもたちは、その中で生活しています。
だから、勉強の弱点は、単なる学習上の問題ではなく、自分の立ち位置に関わる問題になります。
数学ができない。
英語が読めない。
理科が分からない。
それは、本人の中では、単なる科目の問題ではないことがあります。
「自分はどう見られるのか」
「今までの自分のイメージが崩れないか」
「友達に知られたらどう思われるか」
そういうことと結びついてしまう。
そのとき、知っている人がたくさんいる塾は、かえって通いにくくなります。
大きな塾、有名な塾、友達がたくさんいる塾。
それは安心材料になることもあります。
けれど、ある生徒にとっては、そこが負担になることもあります。
だから、誰も知らない塾を選ぶ。
これは、逃げているわけではありません。
むしろ、自分の弱点を立て直すために、余計な視線から少し離れようとしているのです。
このように考えると、城東進学会に口コミが広がりにくかった理由も、少し違って見えてきます。
成績が上がらなかったから口コミが広がらなかった、という単純な話ではありません。
成績が上がっても、通っていたことを言わない。
苦手だったことも言わない。
どこで立て直したかも言わない。
なぜなら、その秘匿性こそが、通いやすさの一部だったからです。
これは、塾の経営として考えると困ったことです。
口コミが広がらない。
生徒数が増えない。
地域で名前が上がりにくい。
普通なら、それは弱点です。
しかし、生徒の側から見ると、少し違います。
知られていないから通いやすい。
友達がいないから安心できる。
自分の弱点を、学校の評価から少し離れたところで直せる。
そういう価値がある。
もちろん、誰にも知られないことだけが安心なのではありません。
先ほどの話のように、偶然、知っている生徒がいることもあります。
世の中は狭いものです。
けれど、大切なのは、知られないことだけではありません。
知られても、からかわれないこと。
知られても、比べられないこと。
知られても、その弱点が傷にならないこと。
そのような空気があれば、生徒は少しずつ自分の課題に向き合えるようになります。
私は、長く塾を続けてきて、このことを何度も感じてきました。
子どもたちは、ただ「分かりやすい授業」を求めているだけではありません。
もちろん、分かりやすい説明は大切です。
しかし、それ以前に、
「ここなら、自分の分からなさを見せても大丈夫か」
「ここなら、できないところから始めても笑われないか」
「ここなら、今の自分を必要以上に恥じなくてすむか」
ということを、かなり敏感に見ています。
誰も知らない塾を選ぶ生徒たち。
その選択の中には、子どもたちなりの切実な判断があります。
自分の弱点を守りながら、どうにか立て直したい。
今の自分を、必要以上に人に見られずに、もう一度始めたい。
城東進学会は、地域で大きく知られた塾ではありません。
けれど、その知られていなさが、ある生徒にとっては、通いやすさになることがあります。
それは、誇るようなことではないかもしれません。
でも、卑下することでもないと思っています。
大きな塾には、大きな塾の役割があります。
有名な塾には、有名な塾の安心があります。
そして、誰も知らないような小さな塾にも、そこだから果たせる役割があります。
人目を気にせず、自分の課題に向き合う場所。
知られていないからこそ、安心して入ってこられる場所。
弱点を見せても、それがその子全体の評価にならない場所。
そういう場所を必要とする生徒たちがいます。
城東進学会が、長く大きくならなかった理由は、単に宣伝が下手だったからだけではないのかもしれません。
ここに通っていたことを、あえて言わない生徒たちがいた。
そのこと自体が、この塾のひとつの特徴だったのだと思います。