勉強法

落ちこぼれだった東京大学大学院教授の池谷裕二さん

東京大学大学院の薬学系研究科の教授で池谷裕二さんという先生がいます。毎週土曜日夜10時からTBSテレビで放映される『情報7days ニュースキャスター』という番組(安住アナウンサーとビートたけしがメインで出演している情報ニュース番組です)で、時々ゲストコメンテーターとしても出演されています。

この池谷教授は、東京大学薬学部を主席で卒業し、ついで東京大学大学院も主席で卒業しています。研究者としての実績もすばらしく、30代のときだけでも、100以上の学術論文を執筆しています。質の高い論文群で、アメリカの著名な科学誌である『Science』にも掲載されてきました。現在の年齢は40代前半であり、脳のメカニズムや生物に関する面白い本を意欲的に何冊も書いています。

そんな池谷教授ですが、小学校のときは勉強が全く苦手で、いわゆる落ちこぼれだったそうです。池谷教授が、自らの著書である『海馬』という本で、糸井重里さんとの対談を通じて語っています。

そして、その勉強のできなさぐあいが、想像を超えています。そこまで勉強ができなかったのに、なぜ、東大に合格でき、東京大学や東京大学大学院を主席で卒業でき、優秀な研究者として実績を築けているのだろうという疑問が湧きます。池谷教授は嘘をついたり、話を盛ったりするような人柄ではないようなので、非常に興味が湧きます。

では、どのように、そしてどこまで勉強ができなかったのか、そして何がきかっけで勉強のやる気が高まったのかについて話します。

池谷教授は小学生のとき、国語、算数、理科、社会のどの教科も全くだめだったようです。国語は漢字が全く書けませんでした。小学6年生の学年終了の頃、小学1年生から6年生までを出題範囲とした漢字テストがあったのですが、そのとき書くことができた漢字はったったの2つでした。1つは漢数字の「二」と、そんなには難しくない何かでした。算数は、かけ算九九が覚えられなかったそうです。二の段の2×2=4と2×3=6の、これもまた2つだけ覚えていて、あとは全くだめだったそうです。全く勉強ができなかったのですが、性格は明るく友達とも仲良くやっていたそうです。ここまで勉強が不振だったのですが、家庭では両親からただの1度も勉強しろと言われたことがなかったそうです。

両親から勉強しろといわれたことがなく、勉強ができなくても、それによって友達から馬鹿にされることもなかったので、自分は勉強はできなくてもいいと思い、勉強への意欲は皆無でした。

そして、中学1年生になり、中学校の授業に英語が加わったことがきっかけで、池谷少年の気持ちに変化が生じます。今と違って、小学校の授業では英語は行いませんし、地方(池谷教授は静岡県藤枝市の出身です)だと英語塾に通う小学生もそんなにいませんでした。池谷教授は、小学生のときに、英語塾に通っていたそうです。とはいっても、その塾でも、英語の力はかなり下だったようです。

ともかく、中学校では、中学1年生の多くは英語を学ぶのが初めてでした。4月の最初の授業では、その生徒らはアルファベットをAからZまで順序よく言うことができませんでした。池谷少年はそこはさすがにできたので、クラスでの英語の力は真ん中前後だったそうです。池谷少年はこのとき、生まれて初めて、他の生徒より上の順位にいることを経験し、「人よりできることってこんなに良い気分なのか」と思ったそうです。そして、英語だけじゃなく他の教科も頑張って勉強しようと思ったそうです。

けれども、漢字はやはりだめで、かけ算九九も暗記は無理でした。そこで、かけ算九九については暗記をあきらめて、オリジナルのやり方を編み出しました。それは、次のようなものです。

6×8ならば、6×10=60、60-6=54、54-6=48です。6×4ならば、6×10=60、60÷2=30、30-6=24です。かけ算が必要な場面で、こうした計算を毎回行います。100人いたら100人とも池谷少年のやり方の方をしんどいと思うでしょう。ですが池谷少年はこちらの方が楽だと考えたのです。

私としては、池谷少年が東京大学に合格できるほどの学力を身につけることができるようになったのは、ここに秘密がある気がします。このような、面倒で、一々、頭をしっかりと高速で働かせる計算のやり方は脳に対して負担が大きいです。けれども、脳に対する大きな負担が、脳の情報処理の能力=処理の量と速さを高めたのだと、私は考えます。また、脳の特性からいうと、1つの分野を鍛えることによって、脳全体が活性化されるということがあります。池谷少年の場合は、数学の演算能力を高めることで、理科や社会や国語の読解力についても良い影響がもたらされたと私は考えます。

国語の漢字については、その後も書けないままのようです。東京大学で、東京大学の学生らに講義を行うと、学生らが講義の内容とは別に、にこにこ笑っているそうですなぜ笑っているのか学生に尋ねると「今日の講義は、漢字を何個間違えるのか皆で数えている」のだという返答があったそうです。

話を戻しますが、いつ頃から池谷少年の学力が伸びたかというと、中学3年間で大きく成長したと考えられます。池谷教授は、このことについては何も触れていませんが、県立藤枝東高校に進学したことでわかります。藤枝東高はサッカーの名門高で、多くのサッカー選手を輩出していますが、県有数の進学校でもあります。偏差値は65から67です。北海道大学、東北大学、名古屋大学といった旧帝国大学にも1名から数名ずつ合格しています。また、サッカーの方では、ゴン中山こと中山雅史選手や長谷部誠選手が藤枝東高の出身です。

池谷教授は、高校3年生になると、さまざまな科目のうちで数学が一番嫌いな科目になり、数学を勉強するのが苦痛になったそうです。その理由は、数学のどんな大学入試問題も、15分も考えれば正解までのプロセスが見通せる、その後はそのプロセスの通りに計算を進めていくだけなのだが、すでに正解と分かっているのに計算をしなければならないのが苦痛だったそうです。算数でかけ算九九も覚えられず、完全に落ちこぼれていた小学6年生が、その後の6年間で、大学入試の難問に正答することができるまでになるというのは、全くの奇跡としか言いようがありません。

池谷教授についてのこれらのエピソードは『海馬―脳は疲れない』という文庫本に書かれています。興味のある人は一読してください。他にも脳についての有意義な話があれこれ書かれています。

海馬―脳は疲れない (新潮文庫)

池谷 裕二,糸井 重里 新潮社 2005-06-01
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by ヨメレバ