城東進学会の理念

「なんでこんなに難しいのを勉強しなきゃいけないの?」
「こんなの勉強して、何かの役に立つの?」
塾に通う生徒達は、いつの時代でも、こんな質問を時折投げかけてきました。

そして、この問いに対する私の考えが、城東進学会の理念となっています。

なぜ勉強しなければならないのか?という疑問に対して
ある人は「勉強して高い学歴を得れば、高い収入の仕事に就けるから」と答えます。
ある人は「人生で困難にぶつかったとき、それを解決できる賢さを身につけるため」と言います。
他にも、さまざまな答えがあるでしょう。それらのどれも間違いではないと、私は思います。人は、それぞれの理由を見つけ、その理由を源泉として勉強をするからです。

わたしが考える理由は2つあります。1つめの理由は、人生の目標を見つけ、それを達成するためです。もう1つは、自分の可能性を知るためです。

初めに、1つめの「人生の目標を見つけ、それを達成する」ということについて考えてみましょう。

人生の目標は、さまざまなものがあるでしょう。医者になること、獣医になること、プロのサッカー選手になること、宇宙飛行士になること、小説家になること、公務員になること、ゲームの制作者になること、金持ちになること、などなどです。

人生の目標がすでに定まっていて、その目標の達成のためには、学校の勉強はほとんど必要ではなさそうなこともあるでしょう。こうした場合は、勉強はしなくて良いのでしょうか?

私は、たいしてしなくても良いと考えます。平均程度の成績をとっていればそれで十分であり、目標の達成のために時間と情熱を注げば良いと思います。なぜ、平均程度かというと、目標の達成のために不必要だと思えるような勉強内容も、思わぬところで役に立つことがあるかもしれないからです。

また、目標を達成するためには、努力ということが必ず必要になります。その努力する姿勢は、勉強を通じても培われます。勉強をすることで、努力する姿勢を強くし、それによって目標の達成が確かなものになっていくのです。

人生の目標が見つからない場合は、大いに勉強をするとよいでしょう。大いに勉強をするといっても、試験で良い点数をとるというのとは少し違います。さまざまな教科のさまざまな単元を学ぶ中で、興味や関心が特に強く湧いたものを掘り下げて調べるといった勉強の仕方が、大いに勉強をするということです。掘り下げて調べていくうちに、「自分はこれに関することを人生の目標にしたい」というものが見つかるかもしれません。また、掘り下げて勉強する科目は、主要教科以外の、保健体育、技術家庭、美術、音楽でもかまいません。むしろ保健体育や技術家庭や美術の方に、人生の目標となるようなことがらがあるともいえるでしょう。

もちろん、人生の目標を見つけるためではなく、試験で良い成績をとるために勉強するという考え方も良いでしょう。試験で良い成績をとり、自分の能力の高さを確認したいという気持ちがあるからです。そして、良い成績をとれば、「自分は、社会にとって非常に有用な人間になることができる」という自己期待を持つことができるからです。

もう1つの理由である、「自分の可能性を知るために勉強する」ということについて述べます。

「可能性を知るために勉強する」ということに対して、ほとんどの人が、「それはない」と思うでしょう。「学校で教えられる教科の内容には、どんなに努力しても理解できないことがいくらでもある。暗記もなかなかできない。試験の成績も思うように伸びなかったりする。一生懸命勉強をすることで、自分の可能性を見つけられる人は少数だ。大勢の人にとっては、勉強は、自分の能力の限界を知るだけのものだ」と言うでしょう。

ですが、ここで根本的な疑問があります。試験で良い成績がとれないこと、学習内容に理解できないこと、おぼえられれないことがいいくつもあること、こうしたことが、その人にとっての限界と言えるのでしょうか?学校での勉強という狭い世界では限界といえるかもしれません。けれども人生を歩んでいくにあたっての、限界と呼べることなのでしょうか?

学校での勉強には、選抜という役割があります。生徒達は、学校内での定期試験や、高校や大学の入学試験によってふるいにかけられます。試験の成績が良い生徒は選抜され、上位のランクの高校や大学に進学し、高い収入が得られる仕事に就きやすくなります。ですから、選抜されなかった大勢の人間が、勉強は限界を知らされるものと思うのは当然でしょう。

けれども、上位のランクの高校や大学に進んだ人ほど豊かな人生を過ごしているのでしょうか?進学した高校や大学のランクの順位に従って、人生の豊かさも決定されているのでしょうか?これは違いますよね。確かに難関大学に進学した人間ほど収入の高い仕事に就く傾向はあります。けれども、難関大学に進学しないでも十分な収入を得て、満足の育生活をしている人は大勢います。

ですから、学校で教わる勉強で、成績を伸ばすのに限界があるからといって、人生に限界があるわけではありません。そして、学習内容を理解する力や暗記することや、成績を伸ばすことについて、自分には限界があることを知ることが、自分の可能性を知ることになるのだと私は考えます。

学校での勉強に限界があるのならば、学校の勉強にも力を注ぎつつ、他のことを合わせて努力すれば良いのです。他人との意思疎通をスムーズに行えるコミュニケーション能力を高める、部活動などを通じて、集団での協調性、ものごとに粘り強く取り組む姿勢などを養う、というように、人生をよく生きていけるようになるための武器を、勉強以外の分野から探すのです。

もちろん、限界のある勉強の分野でも、その勉強を頑張ることで、人生の武器は探し、見つけることはできます。さまざまな学習項目のうち、非常に興味の引かれるものを見つけ、それだけは誰にも負けないレベルまで深い学習をすれば、それは武器となります。勉強することによって限界を感じるからこそ、可能性を知ることができるのです。